中華見聞録-中国ウォッチャイナ!

日本では紹介されることが少ない 中国のニュースや記事を翻訳して紹介しています。 まだまだ素人なので 翻訳が未熟な部分はご容赦下さい・・(^_^;

黒龍江の最大石炭企業の過去:東北の人口は流出し加速する~第一章~

资料图

一気に翻訳しようと思ったのですが、長文なので連載にしました。ごめんなさい
中国東北シリーズの、今回は第一章です。

 2016年12月5日。夜の帳が降りる頃、常曾強は慌ただしく黒色の羽毛ジャケットを着始める。彼はきちんと氷の箱の中から肉を取り出し刺し連ね、整然と炭火鉄箱上で順序よく並べる。1米長の鉄のグリルは最多で百本焼くことができ、ヒツジの肉、牛の筋肉、手羽先の“焼ける”熱気といい香りが噴き出し、この時彼は客の好みに従って平均的に山椒あるいは唐辛子の粉を振りかける。

 今年は常曾強が北京に来て3年目になる、夫婦2人で一軒の焼鳥店を経営しいる、彼は黒龍江省七台河市に住んでいた。この市桃山鉱山区の6年の中で、彼は石炭グループ所属鉱山工場の目撃証言を話そうか迷う。

 常曾強は北京朝陽区石門村道の焼鳥店の10数㎡だけの店で、“東北老舗焼鳥”と言う。店の中の顧客は東北人が多数を占め、彼らは牡丹江、大慶、チチハル、鶴崗、あるいは遼寧吉林などの地から来た。これら家族から離れた東北人が北京市朝陽区で働き、常曾強とと同じく夢を探している。

 常曾強の故郷の七台河市は石炭の産地であり、石炭が主な工業都市である、1958年に開発され、1983年に省管轄の都市に昇進した。七台河市は同時に東北の最大の優良品質の粘結炭とコークス生産基地、黒龍江省の唯一の無煙炭生産基地である。それは東北の最大の石炭グループ竜石炭グループの4つの鉱業グループの中の一つ七台河石炭グループで構成されている。

 七台河市はその他の東北の古い工業基地と同じで、工業に投資して発展し繁栄を経験してきた、前世紀の90年末の国有企業の制度を改める苦労も経験してきた。今、中国の経済構造の調整に直面し、七台河市は全部東北地区の工業都市と同じく、曲がり角にいる。彼らは常曾強と同じくもとは現地の伝統の工業に従事していた東北人で、次から次へと東北から出て行き始めた。

 七台河市役所の公式サイトで公表されているデータは、2009年、全市の総人口は92.77万人、流入人口3.78万人、流出人口1.5万人足らず、この時の人数は流出より流入がはるかに多い。5年後の2014年、七台河市の総人口88.19万人、流入8.1万人、流出12.3万人、流出人口は5年前の8倍、しかもその年流出人数は流入数より4万人多い。 

 東北全体を見ると、2010年全国第6回国勢調査データによれば、遼寧吉林黒龍江3省から共に人口の400数万が流出し、流入人口は減収し、東北地区の人口が180万流出している。2000年全国第5回国勢調査時は、東北地区の人口は36万流入している。10年間、東北地区は人口36万流入し、180万流出している。

 2016年10月、国家衛生産児制限委員会流動人口司が発表した《中国流動人口発展リポート2016》の中で、東北の現在の出産レベルが人口流出傾向が見られ、東北地区の人口がすでに現象蛍光が見られる。国家衛生産児制限委員会流動人口司の分析は示す、東北地区からの人口流出の原因は、6割の東北人の就労問題である。

  東北、これは歴史の上で“東北に生計を求め、“北爆開発”、“会戦大慶油田”など光り輝き、中国の人口に大幅な流入を誘発したが、その工業の萎縮、経済が減速するのに従って、ひっそりと容易に気づかない大規模な人口が流出している。北京、天津、山東、最も遠くは海南、大量の東北人はひっそりと声もたてず去って行く。

 これは発生した経済の転換により中国東北部の深刻な変化によるものである。