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中華見聞録-中国ウォッチャイナ!

日本では紹介されることが少ない 中国のニュースや記事を翻訳して紹介しています。 まだまだ素人なので 翻訳が未熟な部分はご容赦下さい・・(^_^;

黒龍江の最大石炭企業の過去:東北の人口は流出し加速する~第三章~もがく

社会
 もがく

 2016年11月、遼寧省鞍山市の鞍山鋼鉄公司グループ某工場の中は1面荒涼としていた、仕事がないため、工場の従業員は休みになった事を知らされた。1人の夜回りをする人しかおらず、がらんとして静まり返るグレーの工場の建物を見回る。

 馬陽(仮名)はこの工場の一人の溶接工、すでに1年余り勤務た。2015年の秋、工場のリーダーはメンバーを招集し、工事がないことを従業員に知らせ、勤務しても仕事は無い、具体的に工事を始める時間などは追って知らせると。馬陽はそこで友達を通じて紹介してもらい、6人の私営工事チームと一緒に内モンゴルに来た。職場は呼倫貝爾草原の上の一つの屠畜場、この屠畜場は冷凍庫を建造し、馬陽はその中のアーク溶接の仕事を担当した。

 内モンゴルの冬季は雪片が舞い、東北より寒く、雪は更に深い。しかし馬陽は鞍山鋼鉄公司に帰る事は考えなかった、彼がそこに一家を支えるの十分な仕事がない事を知っているためである。部門は毎月500元ぐらいの基本的な補助を提供し、明らかに日常生活出費を満足させることはできず、彼は働きに出るしかなかった。馬陽のあった第三大隊、彼と同じように働く同僚は仕事を探して半分以上が出てきた。

 馬陽は1968年に生まれ、16歳で初級中学卒業する時、父に所属部門に推薦させられ、つまりその時の鞍山鋼鉄公司発電所に就職した。その時は計画経済の時代、工事量が旺盛、ほとんど休みの日がなく、忙しい時夜8時まで残業した。馬陽は溶接工で、工事のパイプ、ボイラーなどを溶接するのを担当した。その時鞍山鋼鉄公司は仕事量と利益が十分あり、絶えず工場の建物、設備を増加し、生産を拡大した。彼はまだ覚えている、当時製鋼所の溶鉱炉の側でパイプを溶接した時、真っ赤な溶解した銑鉄が外へ傾倒し、破裂する火花がはね上がっていたことを。

 1995年の前後の1日、午前に彼の部署の工事のリーダーが3チームの従業員を招集して会議して言った、上に政策がある、従業員が“勤続年数を買い取る”形式で部門を離れることができる、具体的な方法は従業員の勤続年数により、毎年の勤続年数の補助の500元左右。“買い取る”の後では、従業員の医療保険社会保障、保険、公共積立金などの部門再交はでない。このように計算して、たくさんの古い従業員が2,3万元の補償金を受け取って部門を離れ、活路を自分で求めた。その時の全チームの100数人の中で、買い取りを受けた人は10数人いた。彼は父の意見に従い、部門を離れなかった。

 10年後の2016年、東北全体が再度振興するのに直面する前夜、馬陽のあった会社は再度“自宅待機”政策を出した。この政策では退職年齢に満たない従業員をも対象とし、標準的なのは“3齢5齢”、つまり年齢が30歳から50歳。部門は給料と勤続年数によって計算し、普通の従業員は毎月2000元ぐらい受け取ることができる。今回、馬陽のあった工事チームの半分の人はすべて自宅待機となり、ただ30数人余りだけ残った。今年11月、1年余りで馬陽は会社を離れた。彼を待つのはもしかすると更に不確定な未来である。